1999年3月26日,、ニューヨーク経由でブエノスアイレスまで、ニューヨークまで約12時間30分、ニューヨークで待時間10時間、時間が長いので市内観光に、個人で出かけた。空港からバスで市内まで、約1時間30分バスの待時間を入れて、2時間なくなった。エンパイアステイトビルにエレベーターで昇ろうとしたら、長蛇の行列で驚いた。
10年前は昇る人はなく、すいすいだったのに。それでも並んで昇った。それからバッテリーパークまで、地下鉄を乗り継ぎで行った。 時間の節約で、タクシーにしようと思ったが、通りが凄い渋滞で、バスの様子を考えてやめた。 しかし慣れない乗り換えに、結構時間を無駄にした。
自由の女神に行く時間はなく、すぐ空港行きの地下鉄に乗った。これも途中で乗り換えなければならない。始めは白人も半分位乗っていた。しかし30分もすると黒人ばかりになった。急に怖くなったが、郊外を走っているようなので、降りるわけにもいかず、集合の時間は迫ってくるし、気が気ではなくなった。それでも親切な黒人が心配して、乗り換えの電車を教えてくれた。少し安心したが、思ったより地下鉄は時間がかかった。 やっとのこと、ぎりぎりで間に合った。
緊張と寝不足と疲れでへとへとだった。空港待合室に入って、搭乗を待つばかりとなった。 安心と疲れがどっとでて、凄い睡魔に襲われて、柱の陰で寝てしまった。雲の中を飛んでいる夢を見て安心していた。 遠くで名前を呼ぶ声に、飛び起きた。
廻りには誰もいなくて、搭乗ゲートの向こうから、添乗員の黒木さんが呼んでいた。あわてて荷物を掴んで走った。入ったと同時にゲートが後ろで閉まった。柱の陰で死角になっていたから。
もし添乗員が気づいてくれなかったら、旅の始めは終わりとなるところだった。添乗員さまさまだと感心した。 添乗員も大変だなあと、思った。いままでは搭乗ゲートにお客が長く並ぶのがいやで、一番遅く乗るようにしていたが、この時から早く乗って、安心して座席で眠るようにすることにしました。
ニューヨークからブエノスアイレスまで10時間30分、本当に長く疲れました。 すぐ市内観光
写真左、7月9日大通りを通って、オペラハウスのコロン劇場、タンゴ発祥の地。 開館していないということで、中には入れなかった。地球の反対側だから、もう少し暑いと思ったが、南緯38度で結構寒い。 日本に当てはめると宮城県の白石位、 やはり寒いわけですね。
写真右、5月広場、ブエノスアイレスの心臓とも呼ばれている。1580年5月革命の発祥の場所。中央に独立運動の英雄マヌエル.ベルグラーノ将軍の像。
7月9日大通りは、一回の信号では渡り切れないくらい道幅144mある、道の中央に共和国広場があり、高さ72mの白いオベリスクが建っている。