10月14日、サラエボ市内観光。上の写真、ホテルから市内までのスナイパー通り、狙撃通り。ご覧の通り山に囲まれた盆地です。
サラエボ紛争時、この山の中腹から町を歩いている人々を狙って狙撃した。恐ろしいことです。まだ旧東欧の薄汚れた黄色いアパートが多数残っています。写真では白っぽくきれいに見えますが、実際は薄汚れて貧しく侘しい感じです。
教会ばかり目立ちます。民家が盆地の丘にはりつくように立っています。反対側には黄色いホリディインホテルの建物が一部壊れた状態のままあります。紛争当時ジャーナリストの発信地だった所です。旧型の路面電車が走っています。
狙撃兵達は一般市民、女、子供、年寄も区別なく狙撃しました。水資源を絶ち、早朝水を汲みに来たところを狙ったという卑怯なやり方でした。戦争とはそういうものですね。
ボスニアヘルツゴビナは北海道の3/4位の広さ、人口400万人、イスラム教70%、カトリック正教10%、海に面しているのは数十kmのみ、内陸部山岳気候、冬はー27度、夏は40度になる。
サラエボ紛争は何故起きたのか?最大の疑問です。民族紛争と言われていますが真相は違うようです。顔は見分けがつかないといいます。宗教が大きな要因です。イスラム教、キリスト教(カトリック、プロテスタント)の闘争。宗教戦争は中世ヨーロッパでは長きにわたり殺戮の繰り返しでした。凄まじいまでの戦争でした。宗教は人間を狂わせますね。
それに政権抗争が加わったようです。誰でも政治家は自分が頂点に立ちたい、そのためには邪魔者は消す、という図です。日本でいえば群雄割拠時代ですね。見かねたナトーが仲裁に入って治まったかに見えますが、内部ではくすぶり続けているようです。 次ページ