1991年8月12日、 中華人民共和国の北京訪問。
この時代、ビザは団体ビザで旅行会社が一括取得、空港で名前順に並んで、審査を受けます。 銃を持った兵隊みたいな係官がジロジロ見ながらの検査、荷持つの中実も調べます。
どうもめぼしい物があったら、いちゃもん付けて、取り上げられそうなそんな雰囲気です。 日本でも、まだビデオは珍しい時代です。
中国人はみな人民服で、上着は汚れた白いシャツ、黒のズボンです。 女性はばさばさ髪を後ろで束ねて、お化粧なし、やせてカモシカのように細い。
道路は舗装はガタガタで、半分くらいは土埃りです。 自転車がほどんとです。
高層建築も無く、街灯もなく、夜は真っ暗です。 トイレはニーハオトイレ。外を歩いている人が見えます。 信じられない! ペーパーも水も無い。 現地の人はどうするの?
日本から3時間のフライトですから、訪問し易いので、どんな所か?いって見なければわかりません。 本当はシルクロードが主な目的ですが、このツアーは北京経由でしたので、北京一泊で市内観光が入っていました。 それで北京を経験することになってとても良かった。 なぜならこのような北京は、以後見られないでしょうから。
ホテルに入って、すぐ市内の散歩に出かけた。 北京駅が近い、写真上、北京駅のネオンサイン、ところが駅にいっぱいにおびたたしい人が群れている。 写真の通り横になっていたり、座っていたり、駅の外の広場も満員です。 職を捜しに来て、駅で寝止まりしているという、本当に驚いた。
うろうろしていたら話しかけられた。 英語も筆談も通じない。 どうやら宿を斡旋しようとしているらしい。 同じ漢字圏だから、筆談ならと思うでしょう。 字の略し方が違い過ぎて、お互いに分からないのです。
2001年に田中真紀子外相が、北京を訪問して見違えるような駅舎を見て、歎声を上げていました。 そしてこんな光景は、もちろん見られません。 日本以上にきれいになっていますし、食べ物も設備も良くなっていますからね。
これからの旅が思いやられます。 次ページ