プラツア通りの突き当たりにある時計塔。右側スポンサ宮殿。宮殿は1516年に建造。貿易都市のため、出入りする船の物資や財物の管理するための税関でした。

17世紀になると、財界人達の集会所と変わった。

現在は古文書を保管する図書館です。 地震の被害のない建物です。

独立戦争で、亡くなった若者達の顔写真と略歴が掲載されています。 日本の鹿児島の知覧博物館を思い興させます。違いは亡くなった方々は、日本人の亡くなった知覧に掲載されている若者達の数から比べたら数%です。

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