10日、ペルセポリス遺跡へ。 シラーズの西の方、ペルシャ人の都という意味。 B.C.512年、面積125000k㎡。

B.C.330年、アレキサンダー大王により滅ぼされた。

 

 

 

 

 

 


壮麗な王宮があって、謁見の広間やそびえたつ柱廊がみられ、豪華な彫刻や美しい碑銘があった。 それは大ペルシャのアカイメネス朝の威光をものがたっていた。アレキサンダー大王は1月から4月まで、このペレセポリスに留まった。 

ある夜、酒宴の時、アテネの遊女が昔ペルシャ戦争で、アクロポリスを焼き払われた復讐に、ペレスポリスの王宮に余興として火をつけることを願い出た。 酔いが廻って、上機嫌のアレキサンダーはこれを許して、自ら進んで火をつけた。 

燃え盛る炎を見てわれに返ったアレキサンダーは、消火を命じたがすでに手遅れだった。 自制心の強い彼としては珍しい失策だった。 大宮殿の跡からこの大火が実証されている。 ペレスポリス炎上は、ギリシャ人の復讐の終末をあらわすような事件であった。 

上、入場門。 アバダーナ謁見の間。 いろいろな形の柱のみ。

右、門の後側。 巨大な柱の彫刻が当時の栄華を偲ばせる。 人間が小さいでしょう。

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