タラカイ城見学後、リトアニアの首都、ヴィリニウスへ。 郊外のテレビ塔へ。
リトアニアは北海道の8割くらいの大きさ、総人口350万人、ヴィリニウスには58万人。
リトアニア人が80%を占めて、リトアニア語を話す。一番ヨーロッパに近いので、最もヨーロッパの影響を受ける。
BC20年頃からバルト族が住む。 1253年ミンダウガス大公がカソリックに改宗、リトアニアの王位に付く、1316年ゲディミナス大公がリトアニアの領地を東に拡大、ヴィリニウスが首都となる。
その後ポーランドやナポレオンに占領され、ドイツに占領され、1941年には20万人のユダヤ人が強制収容所送り、第二次世界大戦後、ソ連に占領され反抗したものは、シベリア送りとなり10万人が死んだ。
どこの国でも弱小国は、強大な国に踏みにじられます。
TVタワー。町の中心地から5km、高さ326m、165mのところに展望台がある。
折角エレベーターで昇ったのに霧で雲の中、何も見えなくて残念。
1993年1月11日から13日にかけてロシアが侵攻してきた。 「血の日曜日」で有名です。 TVでも放映された、ソ連からの独立を勝ち取るため侵攻してきた装甲車を阻止しようと、自らを犠牲にした若者が装甲車の前に立ちはだかり、轢かれて14名が亡くなった。 その中に24歳の女性がいた。 当時の様子を映した写真と、亡くなった方の写真が展示してあります。
1989年、人間の鎖で650kmを300万人のバルトの人々が手をつないだ。 ゴルバチョフの時代のことです。 歴史はいつの時代でも悲惨です。 そして現在も続いています。