東南アジアは一ヶ月といわず姿を変えます。 そのため一日も早く訪問したいのですが、時間的余裕もなく、なかなか行けません。 マレーシアには随分早くからアッタクしていたのですが、ちょうど山火事が消えず、市まで迫ってきて町の人々はマスクをしていると、いう報道があってキャンセルになった。
エルニーニョ現象で、本当は雨期に入ると自然に火事は消えるのに、雨が降らず消化出来なく、クアラランプールの市まで迫ってきるということです。 そんな煙りの危険な所にわざわざ出かけていかなくとも、ということでした。 そんなことが2年近くあって、のびのびになりやっと1999年2月に念願かなった。
マレー半島はインドと中国の海上交通の中継地点として古くから栄え、インドからの文明が伝えられ佛教も伝わった。 スマトラがマラッカ海峡を支配するようになる。 マラッカは海峡の真ん中にあり、東西交通の要所として交易の中心地として栄えた。
ポルトガルが東洋貿易の基地として、インドのゴアとマラッカを攻略し、1511年占領した。 オランダもこれに加わった。 1819年イギリスは部族間の闘争を治めて、念願のシンガポールを獲得した。
1786年、ペナン港を開いて、イギリスは東洋貿易のオランダの独占を打破し、力を伸ばした。 マレー半島を支配化に治め、天然ゴムの栽培経営を行った。 中国人労働者を導入して内紛が起きた。これを治めながら1914年植民地支配化していった。
ゴムの栽培は世界一となり、インド人や他民族の移住により、マレーシアは他民族複合社会の道を歩むことになる。
1942年日本軍の侵攻で占領下におかれたが、1945年終戦と共にイギリスの支配下に戻るが、マレー人の反発に合いマラヤ連邦が形成される、イギリスの指導の下で植民地時代とかわりなかった、1948年から12年間の弾圧からの闘争の据え、独立への道を歩んだ。
1975年独立を果たした、建国の父と言われるマラヤ連邦の初代首相トウク.アブドウル.ラーマンは、シンガポールを人種問題で、1965年分離独立した。 マレー人優先政策が採られている、1981年就任したマハテール首相のもとで近代化をはかっている。
思った通りの大都会、近代的ビルの建設ラッシュが終わろうとしている頃です。 ホテルはクアラランプールの中心にあるイスタナホテル、外国の賓客がお泊まりになるという豪華ホテル。
夕食のあと時間があるので、近くのブギナナス公園(パイナップルの丘)まで歩いた。 危険だからなにも持たないようにと厳重に添乗員に念を押されて、カメラは持たず僅かな小銭のみででかけました。
近づくにつれKLタワーは夜空に浮かぶ巨大な宇宙船のようにポッカリト浮いているではないか! 高さ421m、世界4番目の高さで日本人の設計、パイナップルの格好をしています。
南国にぴったりの形ですばらしいタワーです。 閉まっているかと思ったら登れます。 小銭を持ってきてよかった。
上までエレベーターで一気に。日本人とすぐわかるらしく現地人が親しみぶかそうな目で話かけて来た。 カメラを持ってこなかったのが悔やまれる。 しかしタワーの頂上からは夜のためと高すぎて、周りは良くは見えなかった。
降りてから下から上を見上げたらその巨大さにびっくり! しかも南国情緒たっぷりのパイナップル型。 夜空に浮かぶその姿はまさに未来世界に来たみたい。 日本人の設計者はさすがです。 ここはぜひお薦めポイントですね。