慰霊塔。1944年4月下旬、ペリリュー島奪還に向けてアメリカ軍が攻めてくるという情報が入り、、勇敢な水戸師団が配属される。
特に目立った産業もないペリリュウ島を何故アメリカ軍は欲しがったのか?日本が頑丈な飛行場を造って南方への足がかりにしたので、その飛行場が彼らも欲しかった。当時は飛行機の後続距離が短かったので経由地が必要不可欠だったのです。
そこを拠点に日本本土へ攻撃出来るからです。
日本は反対にこの飛行場からハワイ、南方の国を攻撃するための拠点だったのです。
そのため日本軍もこの飛行場を守死しなければならなかった。強い軍団を次々送り込む。5月に歩兵隊、戦車隊など。
アメリカは3日で終わらせる予定で、南方のオレンジビーチから猛攻。日本軍守備隊の激しい抵抗に会い、3ヵ月間にも及んだ。1000mに及ぶ自分達で作った縦横の洞穴(洞窟)に潜んでいた。
11月24日、「サクラ、サクラ」の暗号で玉砕した。
米軍の死者8500人、日本軍の死者12000人以上となった。
何と無謀で悲惨な戦争だったことでしょうか?。
左の写真、水戸師団の慰霊碑です。お線香を手向けているのは案内の方の平野さん、お線香を全員分用意なさっています。
左の写真、手前に横になっている朽ちた管は酸素魚雷、小さく見えますが、直系30cmあります。長さは人間位です。左奥に立っているものは800kg爆弾です。これも朽ちています。野ざらしにして70年も経過していればボロボロになりますね。
右の写真、当時の病院でした。今は戦争博物館です。次のページに展示物が載っています。建物は分厚いコンクリートで爆弾が落ちても崩れない作りで当時の日本軍の凄さが分かります。 次ページ