8月15日、プーシキン市にあるエカテリーナ宮殿へ。 

ロシアバロック様式、建築家ラストレリの設計、1756年完成、正面はロココ様式、各室は柱の色によって赤の間、緑の間、琥珀の間、王冠の間、金の間などの名がつけられている。 

ドイツ軍が占領して徹底的に破戒しつくし、広間には何も残っていなかった。 いまでも琥珀の行方はわからない。その後修復した。
 王冠の間は金箔の中にいるようです。 召使の間でさえ薄黄緑色でお花の模様がたくさん描かれている。 こんなすてきなお部屋なら召使でも悪くないね。 

エカテリーナは二世はドイツ小公国の娘で、ロシアのピュートル三世に嫁いだ。 少し頭のおかしかった夫に失望し、フランスの啓蒙主義者の作品に没頭し勉強した。 近衛隊長と手を結び、夫を退けて帝位についた。 

彼女の治世に貴族の特権は拡大されて、農民は農奴化されていった。 またボルテールを通して、モンテスキューの「法の精神」の勉強をした。 ヨーロッパの高い技術と、先進的な制度が目標だった。 エカテリーナは洗練された社交と美を求めて、快楽の世界にますます拍車をかけていった。 

 

 

 

 



宮殿の前は緩やかな勾配になていて壮大な庭園です。 600haの広さで池と自然の森、川と橋、並木道とたくさんの彫像など、自然に調和するように作られていて、皇帝の偉大な力を改めて思い知らされます。

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