8月8日、イスタンブール発8時40分、アンカラ着9時30分。
バスでアンカラ市内へ、荒涼とした平原の中をバスは行く、まもなくなだらかな坂のような平地にぎっしりと二階建てくらいの家が重なり合って見えて来る、丘の上まで続いている 屋根は赤い、すごい、ゲジュコンドウという民家群です。 一夜建てという意味です。
アンカラの歴史は古く、ヒッタイト・フィニキア時代から大きな町はあった。
支配者は次々変わってオスマン・トルコ時代、アンゴラと呼ばれた。
1402年、チムール軍との戦いに敗れて、バヤズット二世が捕らわれて、オスマン朝が一時中断した。
1923年、アタチュルクがアンカラを新制トルコ共和国の首都と定めたときは、人口はわずか3万人だったが、今は350万人にもなってい。
左の像はアタチュクル像。16世紀に栄えたトルコは、その後近代化に遅れ衰えていった。 第一次世界大戦でドイツ側についたトルコは、敗戦と同時に列強から国土の分割をされそうになった。
ケマル・パシャ(アタチュルク)という一将軍が、「救国戦争」を呼びかけて、4年に及ぶ戦争で固有の領土である小アジアを取り戻し、共和国として再生させた。
初代大統領として15年間統治した、正教分離などの文化大革命を実行し、トルコの近代化に成功した。
彼は日本の明治維新を研究し、日本に学んだという、このような立派な統治者がいないと、国は傾きますね。 自分の利益のみ求めているどこかの国の政治家みたいではね。 日本もだんだん悪くならなければいいですがね。
まだ町は発展途中であちこちで建設現場が見られます。 まだあまり高いビルは無いです。