9月12日、フェアバンクス9時45分着。成田から7時間のフライトです。チャーター便で近いです。うとうとする間がありません。
ホテルチェックインは午後4時。一応ホテル入り、荷物をロビーに預けて、4時までフェアバンクスの町を見学するしかない。猛暑の日本から10度代の寒さの中に放り出される。寒くて風も強い。町の見学といっても何も見当たらない。日本では真夜中、睡魔が襲う。皆さんぐったりしている。いくらチャーター便で便利といってもこれでは意味が無いね。
とりあえず重い手荷物をデスクに預け、町の散歩に出ます。町は荒涼として家や建物がポツンポツン、とあるだけ。
道路は碁盤の目で迷う事は無い。道路標識もしっかり着いている。高い建物はホテル、公官庁、銀行位です。
チナ川が南の方に流れているというから地図を片手に歩く。
ご覧のようにすっきりしている。歩いている人は皆無。チナ川の水も透き通っている。
公園には原住民のエスキモー達がたむろしています。
アラスカはアメリカの49番目の州。国土は日本の4,5倍。人口は37万人、1867年ロシアから730万ドルで買い取る。
それまではロシア領だった。冬になるとベーリング海の氷で地続きとなり、ロシア人が往来していた。
年間を通して氷に閉ざされている国、エスキモー、白クマ、アザラシ位しか住まない国は必要無かった。毛皮目当てでした。
ロシアは当時クリミア戦争でヨーロッパ方と戦争で苦慮、財源が欲しく、アメリカに二束三文で売却した。
当時のアメリカ大統領が国家予算の1/4を継ぎ込み、国中から非難されたという。
しかし6年後、金鉱脈が発見後金景気に沸き、売人が大挙押し寄せる。その後石炭、地下資源、石油と地下の宝庫が次々発掘される。
ロシアはしまった!と思った事でしょう。後の祭りとはこのことですね!
30年後アメリカ大統領ウイリアム・マッキンリーが経済政策に功を奏したという事でデナリ山をマッキンリー山と名付けた。
左下の写真、唯一、立派な建物、フェアバンクス市役所。ポールにはアメリカ星条旗とその下に紺色のアラスカ旗がめいています。 次ページ