水師営。海軍基地の跡地をいう、現在は地名です。

乃木将軍とロシアのステセル将軍との会見場。 建物の右側が日本側の控え室。 左側がロシア側。日本側にはいろいろ当時の写真が展示してあったが、ロシア側は下の写真一枚と木の机が一個だけです。 屋根には草が生えていて、歴史を思わせま。

その机に日本語で会見した旨書いてあった。

この場所は旅順市内でも外れた場所にある。 上の方に枝だけ見えているのは、なつめの木です。乃木将軍も好みの木で、三代目だそうです。当時のなつめの木には弾痕の跡が無数にあったという。戦闘の激しさを物語っています。

 

 

 


旅順は外国人に開放していない場所が多い。バスからの写真を撮るのを、控えるようにということです。

第2次世界大戦後の日本の占領した国々、韓国、台湾はもっとも早く復興しました。 日本は彼らを日本人として教育した。ヨーロッパの白人はアジアの民を奴隷扱いした。もし中国が白人の植民地になっていたら、今頃独立運動に明け暮れていたかも知れません。 考えようでは日本で良かったのかもしれませんよ。

次ページ