10月25日、エストニアの首都タリン観光。 

緯度は54度〜55度で北極に近い、寒い訳です。

エストニアは九州より少し小さい広さ。バルト三国では一番小さい。人口137万人の中、タリンは42万人、エストニア人が68%を占める。 

B.C.4500年頃から人は住んでいたが、デンマーク人が入ってきてから町は開けた。 トームペアとはデンマーク人の要塞という意味で、それが訛ってタリンとなった。

その後ドイツ人が入ってきて、13世紀、ハンザ同盟に加盟。ロシアとの貿易の中心となり町は繁栄した。

その後スエーデン、ロシアと支配され、ソ連時代と続く。 第二次世界大戦後は過酷なソ連支配下。数万人がシベリア流刑となった。シベリア流刑は死を意味した。生きては帰れなかった。 

独立の気運高まり、1998年国境線をソ連の言いなりに決めて、独立に及んだ。 民族の歴史はどの国でも過酷です。 現在も続いていま。 



現在の建物は13世紀以降の物。 ハンザ同盟の頃の物。

 プロテスタントが国教。

最初の見学はカドリオクル離宮。

大北方戦争。1700年〜1720年、ロシアのピュートル大帝が勝利したとき、妃エカテリーナのため離宮と公園を作った。この名前をエストニア語で、女性の名前に変えて、「カドリの谷」と呼んでこの名がある。

後期バロック様式、1918年着工、5年かかって完成。

内部は現在は海外美術館となっている。 

宮殿ですから、ヨーロッパ風できれいです。 エカテリーナの宮殿はあちこちにありますね。 王は絶大な力があったからすごいです。

上の写真、公園内の白鳥のお池。白鳥の変わりに鴨が泳いでいました。

メンテナンスも大変です。 紅葉が終って落ち葉がぎっしりで、お掃除に大変ですが、きれいになっています。 さすがで。

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