ギリシャといえばみなさん何を思い浮かべますか? 世界史で始めに出てくる民主政治国家。アテネのパルテノン神殿。また地中海の紺碧の青い海と白亜の大理石の家並み。エーゲ海クルーズなど。聞いただけで気持ちがわくわくするような魅惑の旅。 そして私もそれにつられて出かけました。

 1992年8月4日、21時成田発、アテネ着5日9時15分。実はギリシャは2度目です。 最初はイタリアのページにも書いたのですが、ローマの空港をギリシャに向けて飛ぶ出発前日。爆弾テロが発生しローマの空港が閉鎖されました。そのためホテルに缶詰になり、夕方やっとアテネに飛ぶ飛行機に、観光客だけ優先で乗れたという。そのためアテネ市内の観光は出来ませんでした。 ローマの空港の爆弾テロの跡も、なまなましく見られました。日本ならビニールシートで覆いをして見せないようにするのに、あちらはガラスの破片やら弾痕の跡やら、散乱した書類やら、血痕の跡やら、全部見られました。でも時間が数時間ずれていて良かった。もう少し私たちの出発が早ければ、遭遇していたかもしれない。危機を免れたのだから、アテネの観光が出来なくともしかたない、とその当時は思いました。 1980年代はまだまだ世界は物騒でした。 それで今回実現出来たわけです。

今はロシアの上空を通過出来るから早くなった。 12年前は南回りで、タイかインド給油のため降りて休み、20時間位かけての旅でしたか、着くまでに疲れてしまう。その上インドでは機内清掃とやらで、清掃人が入ってきて掃除をする。座席の上に物を置いておいたりしたら、スリッパや靴下など無くなったりして大変でした。

夜出発の朝到着、すぐ観光と忙しいが眠いなどと言っていたら、せっかくの外国旅行がもったいないから、飛行機の中でひたすら寝ること。 しかしなかなか寝られない。いろいろな人がいる。騒いでいる若いグループ、いびきのうるさいおじさん、 中年女性のグループは大きい声で喋り捲る方が勝ち、とばかりにしゃべる人、 甲高い声で大口開けて笑う品の無いおばさんなど。 このようなおばさんにならないようにしなくてはね。真夜中に売りにくる免税品の機内販売など、迷惑この上ない。それでも耳栓をしてひたすら眠る事に専念する。 翌日からの楽しい観光を考えて文句など言っている暇はない。

やっと来ることが出来たギリシャ。 アテネのパルテノン神殿。 遠くに見える丘の上が目指す神殿。 思ったとおり家々は白亜の大理石の町。 素敵! 

今回の添乗員は海外旅行業というのに、何やらいろいろな飾り物を体に付けている。 ネックレス、イヤリング、ブレスレット、指輪は幾つも、腕に巻くものやら、それにとても華やかな人 海外旅行の時はいくら持っていても身に付けていってはいけないのに ほしいと思った輩に目をつけられたら指を切られて指輪を盗られると聞く ギリシャは物騒な国でないから大丈夫ということですか。 でも理由は後ですぐ分かります。

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