インドという国には何となく未知の世界を感じます。 四大文明の発祥地であり、今なお残るカーストの制度、マハラジャの世界、10億の人口とインダス河の沐浴、サリー姿......。中学の社会の教科書のタージマハールの写真、なんて綺麗なお城でしょう! 王様が愛妃のために建てたという建物、たくさんの召使にかしずかれて、優雅に暮らす王妃様。ぜひ一度行ってみたい。
日本人の海外に出かける最初は韓国、ハワイなどの近い所か、ヨーロッパ、マリンスポーツの好きな人達は島々など、次に訪れるのがインドと聞きます。 しかしインドの国は一度訪れるととりこになって、何度も尋ねたくなる人。 それが昂じて長期滞在する人。しかし二度と訪れたくない人、思い出すのも不愉快な人。 の二つのパターンに分かれるといいます。 さあ、どちらになるでしょう。
空飛ぶジュータンに乗って出発しましょう。(空飛ぶジュータンはトルコだが、このさいどちらでもいいでしょう)。
ビザの申請、職業欄に放送関係の名前を書いたら、ビザ取得不可能で戻された。 しかたないからこのさい無難な教師にして登録。 そうしたら取得出来た。 以降いつも職業欄は教師にする。
1992年4月1日、エアーインデアで出発、飛行機に乗る。 なかなか動かない。 出発の時間30分経過、やっと動いた。 滑走路で離陸態勢。エンジンをかけ始めたら止まってしまった。 元の場所に引き返し、待つこと1時間30分。 エンジンの点検という。 やっと動いた。 今度は大丈夫でしょう。 滑走路へ、離陸態勢。 またも出力不足、引き返。し
そのうち機内で昼食が配られた。待つこと2時間、しかししっかり整備してもらわないと大変、乗客はみなしーんとしている、ぎょっ! インド人の乗客はお祈りなどしている。 だれも文句など言う人はいない。 外国の場合は日本のように定期点検などないそうです。 悪くなったらその時直す。 自動車の場合も同じ。
イタリア旅行の時、オンボロ自動車がたくさん走っていた。 車検などない、自分で直して走るという、自己責任ということです。
しかし飛行機はひどいね。 他人の命で、自分でないからいいということかな。 ごちゃごちゃ考えてるうちに動き出した。 今度は大丈夫かな? なんとか飛び立った。ゴトゴトガタガタすごく音がする、大丈夫かこちらにはわからない。今にも墜落しそう、まだヒンズーの神シバ神に召されるのはいやだ。とにかく恐ろしい航空会社だ。
真夜中バンコク経由で6時間遅れで、デリーの空港に翌日の早朝2時30分無事到着。
この飛行機は二度と乗りたくない。 空飛ぶジュータンどころか、ボロボロジュータンです。
空港の入国審査で問題が起きた。 当時はビデオカメラはまだ珍しく、日本人でもほどんと持っている人のいない時期。 持ちこみ禁止のようなことを言っている。 いろいろ交渉して番号を控えさせられた。 あげく彼らは物珍しそうにみんなでいじくりまわして遊んでいる。 扱いは解らないのに、とにかく無事手元に返してもらって通過出来た。 そのままホテルへ。
始めからひどく疲れる旅の始まりです。 もっとも期待しすぎる方が間違いか? 私が行った当時は、まだ旅行会社も今のようには内容もホテルも案内も充実してなく、 アジアを旅行するお客も少なかった。 現地の旅行会社との連絡も上手にいかない時期でした。
あこがれのタージマハール観光へ。 タージマハールからアグラ、 ジャイプール、デリーの順に出かけます。 期待してね!