日本から最も近い外国。 韓国への理解なくては、国際社会の仲間入りは出来ないと、偉そうなことを考えて、まず始めに隣国へ旅行しようと旅立ちました。 戦後45年経っています。 

1990年5月3日、ソウル市は驚くほどの発展です。日本と少しも変わりません。 車は渋滞するほど走っています。 車もバスもきれいで立派です。もちろん冷房付きです。人々はみなきれいな服装でお化粧もきれい。 地下鉄も開通しています。 

「日本に追いつけ追い越せ」政策で、すべて活気づいているようです。建物も中層建築群ラッシュで、新しい物が次々出来あがっています。道路もすごく混んでいますが、舗装もすっきりしています。 戦前は山の木々は薪にするため切られて、丸裸になっていたという。 しかし今は山は緑で覆われてすごくきれいです。公園も整備されていてみごとです。  

まだまだ日本を敵視している感じは濃厚です。 まず始めのバスでガイドは中年の女性、思った通りです。 日本の韓国での長い植民地時代の辛いさやひどさを、それとなく言いながら、彼らの国歌、「アーリラン」を覚えて帰るようにと、歌詞を書いた紙を配り、それの歌の練習から始まりました。 毎回歌うから最後には暗記するようにということです。

ソウル近郊の温泉。 高速バスで2時間。 左のホテルの室、オンドルの部屋(オンドルとは床暖房のこと)、 洋室と選べたが、「郷に入りては郷に従え」で折角のチャンスですから、なかなか暖かくて良い物ですね。 
日本のようにお布団を敷いて寝ます。 

儒城温泉というので、楽しみにして入りにいったら、日本と異なり時間が遅くなると、お湯を抜いてしまって終わりです。 9時頃のことです。 どんなふうか覗かせてもらった。昔の木の桶みたいな物で、それのすごく大きい物が真中にあって、回りが洗い場になっている。日本の温泉のようではない。 翌日早く入りに行ったら、満員で入れない、ぎっしり人がいて、入れないから止めました。

韓国のページを作り始めていたら、1月26日(金)山手線の新大久保駅で、線路に落ちた男性を救うために、線路に降りて命を落とした韓国人の日本語学校生、李秀賢さん(26)と横浜のカメラマン、関根史郎さん(47)のお二人が勇気ある犠牲をなさった。特に韓国の若い学生さんは、他国のために命を落として、何とお悔やみ申し上げてよいのかわかりません。とても偉い勇気ある行為と思います。 このページでも李秀賢さんと関根史郎さんに哀悼の意を申し上げますと共に、ご冥福をお祈り申しあげます。 

扶余、慶州、釜山、ソウルの順に旅します。 次ページ