カウナスの近郊の日本のシンドラー「杉原知畝」さんの家訪問。

1940年、第二次世界大戦が始まって、ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人が逃れる道は、日本のビザを取得して、シベリアをとおり日本からアメリカへ行く道しか生きるすべはなかった。

それで彼らは日本領事館の前でビザの発給を願った。しかし日本はドイツと連合していたから、ビザの発給は日本政府に反抗することだった。

しかし彼らのまなざしに、杉原氏は無視することは出来ず、日本政府に反してビザを書き続けた、政府に反することは当時は死をも意味した。

昼夜をとわず書き続け、3000人以上の命を救った。 実際に日本経由でアメリカに渡ったユダヤ人は6000人以上になったという。 

しかし杉原氏は政府に反したということで失職する。その後大変ごくろうなさったということです。

映画にもなりましたし、本にもなっています。

杉原氏の旧領事館は現在は記念館になっています。 日本語の上手なリトアニアの青年が説明してくれました。 奥様の幸子夫人が桜の木を記念植樹なさったということで植えてありました。

1991年になって、日本でも彼の功績を認めて名誉が回復されたが、彼の死後5年たってからです。 ご存知ない方はぜひこの本を読んでみて下さい。

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