1993年5月5日、蘇州から夕方上海着。
夕食まで時間があるので、他の方はお店に行きました。 私達は近くの豫園まで、徒歩で行こうとしたら、添乗員が心配だから案内するといいます。 「大丈夫」と言っても聞きません。ところが彼は徒歩で行ったことは無く、いつも豫園の前までバスです。
私達はいつも自由行動の時は、徒歩か路線バスです。
だから彼は地図を片手に歩くのは初めてで、私達が連れて歩いた感じです。
ところが写真の豫園の近くまで来たら、彼は「ここからは任せて下さい」と言うから、おかしかった。
豫園に入った時は、すっかり暗くなって良く見えませんでした。
夕方は外灘にある和平飯店で、バンド演奏を見学しようと入りましたが、満席で入れず、レストランの横で聞くことに、ところが昭和中期くらいの音楽とトランペット演奏、バンドマンはご高齢の方ばかり、音はかすれて思ったよりうまくない、時代遅れの感じでした。
左はタクシーです。 タクシーもすっかり立派になっていますが、クーラーは付いていないようです。 帰りは路線バスに乗ったのですが、街は真っ暗でどこを通っているか分からず困りました。 またバス代がいくらか分からず、10元出したらクシャクシャの人民元が、手に持ちきれないくらい大量のお釣りがきて、回りの乗客がみな覗きこんで見ていました。 ちょっとまずかったかな。 でも他意はありません。 日本でいえば一万円札で、100円分のバス代ということでしょうか。
上海は乗り継ぎの場合が多く、数回来ているのですが、上海市内そのものの観光はありません。 大抵、豫園と外灘とお店です。
今回も上海飛行場近くのホテル一泊で、翌日の12時発で帰国です。 12時発ということは国際線ですから、2時間前に空港に到着していなくてはならず、空港までの時間を考えたら、午前中の時間は無いわけです。