1997年8月8日、エアロフロートで、分けの分からない国ロシアのモスクワへ。ロシア革命後、少し落ち着いた感のあるロシアだから大丈夫と思います。 市谷にあるロシア旅行社のお薦めの参加です。 日本からの飛行時間は比較的短く楽ですが、長い間共産圏だった国だから、大分良くなったとはいえなんとなく不安です。  

今回の旅はモスクワ、ウクライナ(キエフ)、 エカテリーナ宮、 ペテルスブルグ、プーシキン、モスクワと巡ります。    
ロシアホテルは赤の広場のすぐ近くですが、すごくメンテナンスの悪い薄暗いホテルです。 朝の散歩に行きましょう。 歩道はでこぼこで車はあまり走っていませ。 赤いという意味はすばらしいという意味です。 

日本で報道されているのとは随分ちがいます。 立派な建物が並んでいます。 左側はクレムリンで宮殿です。 クレムリンとは城砦という意味で、皇帝ツアーの居城で巨大な権力を持っていた。 皇帝の巨大な力で、クレムリンの中にすごい建築物と宝物を残した。 

中央の少し出ている所は、レーニン廟で警備兵が銃を持って立っています。 その横の丸い屋根のある建物は元元老院です。 右の奥は自動車が下を通過出きるようになっています。 上は国立歴史博物館です。 その右側には写真には映っていませんが、すごく立派な建物があり、グムデパートですが、時間が早く開いていません。 

写真右、ワシリー寺院。 赤の広場の手前側にある。 全部違う形と色、回教徒の寺院、閉まっていて入れなかった。 夏にしては涼しくていい気分で。す

 

 
高さ47m、イワン雷帝が1555年から1560年に、ポストニクとパロマに作らせた。あまりにも美しかったので、同じものを作れないように、二人の目を刳り貫いてしまったといいます。 

ワシリーという名はイワン雷帝の修道士の名前です。

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