ベトナムと聞いたら何を思い浮かべるでしょうか? あの悲惨なベトナム戦争、枯葉剤の恐ろしい後遺症、地雷の被害、それともアオザイの素敵な女性、西洋的な東洋風、市場の豊富な果物と珍しいお魚のメコンの恵み、楽しい方が良いに決まっている、どちらに会えるでしょうか。

ベトナムは南北に長く延びた亜熱帯の気候で、日本の国土の九州を抜いた位の大きさ。南は熱帯モンスーン、人口7800万人、ベトナムの歴史はほとんど植民地で、いつもどこかの国が支配していました。始めは中国、その後チャンパ族がフエに都を作り、 

また中国の李朝がハノイに都を作り、その後動乱の世界へ、1788年フランスがフエを落とし、過酷な植民地時代が続く、 彼らは黄色人種を人間とは見ず、動物同然に扱い搾取した。 1940年日本軍が僅か数年支配したが、日本は彼らを日本人同様に扱った。学校、病院、鉄道など作った。 

1945年敗戦と同時にフランスが支配、1950年フランスが撤退し北部はソ連、南部はアメリカの支配に。北緯17度線を軍事境界線となった。 アメリカの軍事介入があの悲惨な戦争を引き起こした。 世界の反戦運動に負け、アメリカは撤退せざるを得なかった。 

1975年4月30日、サイゴン陥落し、統一ベトナムが誕生した。 社会主義国として共産党が実権を握ったが、ソ連の崩壊と共に、最近は自由経済が進んできているようです。東南アジアの中では最も経済の遅れている国でしょう。簡単に書きましたが、歴史は複雑ですので詳しくは歴史書でどうぞ。 

2001年3月12日、ベトナム訪問へ、ホーチミンへ。関空経由で6時間、時差2時間、ベトナム航空にのった途端スチュワーデスは赤い素敵なアオザイ姿、早速出会えた。

ホーチミン市ハノイハロン湾ホアロー収容所フエホイアンホーチミンの順に旅します。

下の写真、ホーチミンの空港。 気温8度の東京から30度の町へ、暑い! スコールの後で道路はビチャビチャしている、決してきれいとはいえない、 それに暑い地方は独特の臭いがする、東南アジアに来るのは覚悟がいる。 

今回のツアーのお仲間は平均年齢年金の頂ける年齢層、ベトナム行きの飛行機は前の方の良い席は、若い日本の女性でいっぱいで、ビジネスマンがちらほら。 ツアーグループのお歳より数人は一番後ろの席、日本の若い人にとっては天国ですね。 

そして日本の繁栄を築いたお歳よりのグループ数人は、ツアーだから悪い席。 ひねくれてはいけないね。 年寄りにされてしまう。  次ページ