シルク・ロード。 絹の道。 なんとロマンをかきたれる響きでしょうか? 砂漠をラクダの隊商が列を作って、東から西へ行く。 ちょうど月の砂漠の歌にあるように、金の鞍には王子様、銀の鞍にはお姫様のように、そんな魅惑に引かれて、未知の国へ行ってみたいと思われるでしょう。 そして私もその一人でした。

でも現実はそんな生易しいものではありません。 砂漠の灼熱の炎熱地獄、いつ果てるとも知れない砂漠の旅、道を間違えたらオアシスに行きつくところか、死が待っている。ミネラル・ウオーターのない時代の旅、水は簡単には手に入らない、横行する現代版盗賊団、実際にやられました。 など、各ページで実態をお知らせします。 無事に帰れるかどうか心配です。 

でもそんなこと知りもしないし、考えもしないで、出かけました。

1990年代初頭、中国は文化大革命が終わって、共産党が勢力を増していた時代、男女とも白い汚れたシャツに、黒いよれよれの人民服のズボン姿、もちろんお化粧は無し、洗ったことも無いバサバサ髪を、後ろで束ねているだけ。 

家は土間一つに大家族が住んでいる、台所は無く、外でおかゆをすすっている。 好いものを食べていると、密告出来るように、みな外で食事する。その食事を売るお店があるのみ、扇風機やテレビなどありません。

ニーハオトイレ、聞いていたより物凄い。 各ページでご紹介します。

そんな時代の1991年8月13日、中国の北京から入って北京観光後、飛行機で4時間30分、西の端新彊ウイグル自治区のウルムチまで飛びました。 ウルムチトルファン敦煌西安の順に訪れる旅です。 

その飛行機の臭いこと、また汚いこと、床はゴミだらけ、つばのような物やら食べ物のかすやらすごい、シートは破れているし、触ると汚れそうです。 覚悟しなくてはね。

上の写真、飛行機の窓から見た崑崙山脈、雲のように見えるのは雪をかぶっています。 またどこまでも続くゴビ砂漠の乾ききった大地、広いなあー!

右の写真、ウルムチのホテル前で。 砂漠の象徴、ふたこぶラクダです。 このホテルは市内中心地から6kmも離れてる新彊友誼賓館で、この当時は市内には外国人を泊めるようなホテルはありませんでした。

いよいよ観光です。 わくわくしますね。どんな所かしらね?ホテルの名前が左アラビア文字、右、中国文字、これだけでも異国情緒をかきたてますね。

朝のうちから暑いですが、カラッとしていて、湿度がないせいか汗はでません。

次ページ