中国は5000年の歴史のある国。四大文明発祥の国、世界で二番目に広大な国、人口の最も多い国、そして日本に二番目に近い国、世界遺産のたくさん詰まっている国、そんな国がお隣にあるのですから、ぜひ訪問してみましょう。 近いから日数を少なくして回数出かければよいでしょう。(背後の挿絵は何でしょうか?何処かに種明かしがあります)。

 1990年、香港、広州桂林を訪れました。 その時の印象は強烈でした。 男女共白のよれよれのシャツに、黒のズボンの人民服で、女性は髪を後ろに束ねているだけ。もちろん化粧なし、出来たての一番良いホテルといっても、水がでれば良い方、お湯など出るわけがない。 停電は当たり前、道路はでこぼこ、車があるだけいい方でした。桂林の景勝地では、写真を撮ろうとすると、手や足のない人が、群がってきて取り囲まれて、物乞いされて、写真を撮るどころではなかった。 または物売りの攻勢です。 これは今回も同じでしたが、売っている人の服装や売っている物が、格段に違いました。 またトイレは有名な話です。 そのため観光の場合は、一箇所行っては、かならずホテルにもどる、というパターンでした。 所謂ニイハオトイレ、大きく囲まれていて、中は穴がいくつも空いているだけ。仕切りも戸もない、外を歩いている人が見えるのもある。 また車はあまり走っていない。道に牛が座っていて、のどかでした。 自転車も古い物で、たいていの人は歩いていた。 香港ではお店ばかりに案内。 暗くなってから、レパルスパークに行った。

1991年、 ウルムチトルフアン敦煌西安へ。上記よりもっと凄い。 トイレは土手のような斜面にあって、太陽による自然乾燥、蝿がすごい。当時はこのあたりは干しブドウの産地。近くに干しているブドウに、黒山の蝿の群れ。 知らぬが仏とは良く言ったもの。 また現在のようにミネラルウオーターはなく、(当時は日本でもなかった)水の代りに、すいかを切って水代りにした。食事はパンなどは、固くて歯が通らないものが多く、肉は干し肉で、固くて食べられない。 ビールは冷蔵庫やクーラーはないから、暖かいまま。 45度にもなる真夏に、クーラーがないのには辛かった。 道路は舗装はない。 車はもちろんクーラーはないから、窓を開けて走る。 外からの砂埃りが、口の中まで入ってくる。 水のシャワーで、水が出れば良かった。 飛行機はいつ飛ぶかわからない状態。全員のスーツケースは開けられて、傘、フイルム、かみそり、ナイフなど、金目のものは全部盗られた。 開かないカバンは、壊されて盗られた。撮影済みのフイルムまで盗られて、その人はそれだけでも返して欲しいと訴えていました。民族舞踊は土の上が舞台、屋根はブドウ棚、長椅子に座っての鑑賞、踊りの服装はペラペラの衣装、踊りは小学校のお遊戯よりひどいものでした。 

1993年、杭州無錫蘇州上海へ。 女性の服装が少し良くなり、若い人は色の付いた物を身に着けているが、ペラペラの生地。男は人民服のまま、上海では乞食に後をつけられて、体にべたべた触られた。通りは暗く街灯はなし。部屋がないから、若いカップルは公園で愛の表現。それを見ている人も多い。道路を作り始めていた。土埃と騒音がすごい。人々は道路で食事、台所はない。文化大革命のため、みな同じものを食べるという。黒っぽい自転車が、車の前を塞いで、集団で通る。すごい数の人。 車はあまり多くはない。  

1994年、 北京万里の長城へ。 女性の服装がきれいになってきた。男性は人民服でない人も、見えてきた。道路は手前の泥とレンガの家の背後に、アパートを作り始めていた。そこへ人を入れて、手前のレンガの家を取り払って、広い道路を作り始めていた。足場は竹、裸足の足には、暑くなくて良いらしい。道路は土埃りと車の騒音ですごい。タクシーや輪タクではトラブル続き。 いろいろ事件があった。 お土産攻勢は今とかわらず。 

1996年、 香港マカオ。 女性の服装がすっかりきれいになり、お化粧もしている。 男性も色のついたシャツやズボンになった。 高速道路もあるし、ホテルはクーラーを寒いぐらいにつけている。 まるで変わった。 車も多くなり、自転車もきれいになったきた。

1997年、 三峡下り、 荊州。 奥地に入れば、まだまだだがそれでも外側だけは良くなった。中国人の旅行者が出始めた。わいわいぎゃーぎゃーうるさいし、声もかん高い。舟は結構立派。 トイレは西洋式から、ニイハオまでいろいろある。 

 2000年11月22日、中国の雲南省へ 昆明麗江大理です。 今回の観光は少数民族の雲南省。 どんなにか辺鄙な田舎町か、と覚悟して出かけたのに! 
1996年12月にM7の地震により、古い日干しレンガの家は壊滅的状態に破戒され、国際社会の救助により、町は超近代的な町に生まれ変わった。青や緑のガラスの高層ビルに、おしゃれな可愛いお家、カラータイルの歩道、アメリカ風のお店(世界中アメリカ風)。 民族村もテーマパーク風、すてきなリゾート風のゴルフ場など。 ホテルは5月に出来た40階建てのウエスチンホテル。バスローブ付き、いつものホテルよりよい。日本からの援助などいらないくらいすばらしい。帰りの日などホテルで誕生一歳の披露パーテーをやっていた(結婚披露宴のように)。 日本ではそんなことする家族はいないのに。

2002年5月1日、大連旅順ハルピン長春藩陽の訪問です。 ここは元満州で、日本人の中には第ニの故郷の人もいます。 また「大地の子」でも有名になった地です。 TVでは近代的ビルの大都市を写しています。 思った通りの華麗な近代ビル群の連続で、カラー舗装のきれいな道路です。 女性は日本と同様きれいになっています。中国人の観光客もわんさと増えています。中国は一年が、日本の戦後の十年の早さで変化しています。高速道路は未完成のため満州鉄道での移動です。  

2006年8月6日、成都楽山九賽溝黄龍、観光へ。1992年世界遺産に登録されて、2004年九賽溝空港が開港したことで、急に旅行会社の宣伝が激しくなった。風光明媚な様子、高山にあるけれど、手軽な感じで行ってみることに。 しかし旅行社の宣伝とは随分異なります。

2018年7月13日、湖南省張家界天門山、世界自然遺産武陵源の見学へ。中國は訪れる度に被害にあっています。それで決して行かないと決めていました。ところがガラスの吊り橋が凄いと新聞やメディアに紹介されています。面白そうなので出かける事に。中國は日進月歩以上の発展の仕方。超高層ビル群、高速道路、車、スマホと目覚ましい発展です。空港は超近代的設備で見違えるような発展ぶり。今回の訪問地は自然界巡り。超高速のロープウエイ、世界一高いエレベーター、世界一長いエスカレーターなど。しかし中國人のマナーの悪さは変わらず。
幽玄心境の高山、天門洞、武陵源の天子山、中國一の黄龍洞など、自然巡りです。

2018年12月18日、上海蘇州無錫 上海と二度目の観光です。新生なった上海、新しい蘇州、無錫をご覧下さい。中國は全く変貌しました。日進月歩ならぬ秒進分歩です。

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